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豊田杯について     田代杯について



豊田杯の「豊田敏夫氏」について



 豊田氏は、人吉市鬼木町に生まれ、以来、人吉東小学校、人吉一中、多良木高校と進学した。
人吉東小学校、人吉一中では、陸上部に所属したが、一年、二年の時までこれまた主だった成績はなかった。三年生の時、郡市の代表として熊本県大会に出場したが、200m、28秒4で8位という結果だった。ベストタイムは、100m12秒O、200m24秒4。
 この後、多良木高校進学。卒業後、新日本製鉄株式会社に勤務し、陸上部に所属し実業団で大活躍をする。後述の田代氏と同じ道をたどることになる。多良木高校では、現在、熊本県の主任スターターの星子先生から熱心且つ本格的な練習を受ける。二年の時、県のトップクラスまで上り、三重県のインターハイの200mに出場したが予選敗退。それからは来年こそはという気持ちで練習し、少しずつタイムも向上し、福岡県インターハイに出場。100mは準決勝敗退、200mは22秒2で5位になる。ベストタイム 100m11秒O、200m22秒2。
 段々記録も向上し、実業団で走ろうという気持ちがつよくなり、新日本製鉄に入社する。そして社会人(実業団)では、当時の日本記録保持者の神野先輩やコーチに恵まれ、懸命に練習した。その結果、自分も驚くほど記録が向上し、成績も向上した。以下、主な成績。

 S50年 九州各県対抗  200m1位(21秒4) 当時日本ランキング1位

      三重県国体    100m1位(10秒70)

      同年 モントリオールオリンピック強化選手拝領

 S51年 日本選手権 100m7位(モントリオールオリンピック国内予選会落選)

      日本対中国対抗大会に日本代表選手決定後、毛沢東主席死去に伴い競技中止して帰国

 S52年 日本選手権100m1位 200m1位 、

      第一回ワールドカップ大会 200m6位(ドイツ)

 S55年 日本選手権100m1位 200m1位

      モスクワオリンピック代表決定 しかし 日本ボイコットのため不参加。

 S56年 アジア大会 200m2位(インド大会)

 その他  アジア選手権 200m 優勝

      第3回ワールドカップ大会 200m8位(イタリア)    等々。

 主な成績 日本選手権 100m 200mで6回優勝

      国体    100m 5回優勝

 ベストタイム  100m10秒41
         200m20秒81  (日本記録3回更新:1977年〜1986年)
 
 後輩の皆さんヘ

  中学校より陸上競技を開始しました。中学、高校時代は競技歴もなく、思えば漠然と競技に取り組んでいたような気がします。学習、運動共に、本当に打ち込む時は、 きっかけが必要でないかと思います。私の場合は、代理出場した九州各県対抗の競技会に出揚し、そこで予想以上の成績がきっかけとなっております。競技で大切なのは、 目標を持ち、毎目トレーニングし、競技は、目本記録更新という、しっかりした目的をもって取り組んだことが、好成績につながったと言えます。しかし、振り返ると、 あの時、もっとやれたのではないかと、反省することが多く、満足感は少ないものです。今、何ができるか、目的は千差万別です。競技が終丁したときに、自分は良くやった、と自分を褒められるように頑張って下さい。

    『羽ばたけ球磨人吉アスリート諸君』


平成17年7月7日取材